あの日から心のどこかで思い続けている日々がありました。

 

 十年前のこと。何気なく見たテレビから、「イギリス一の孤島、フェア島…」というナレーションが聞こえてきました。

 はるか上空から映されたその小島は、テレビ画面一杯に広がった海の中にただ一つポツンとありました。海岸線はフィヨルドのように深く鋭く複雑に切れ込んでいます。それはまるで、北海の荒波にさらわれないように精一杯指を広げ、爪を立てているかのようです。

 木と呼べるものが生えていないので、島の大地は無防備にさらけ出されています。シンプルな光景です。点在する十数世帯の民家と、さまよう小さな点となった羊、波のようにうねりながら飛翔する海鳥の群れ、それが全てです。そして画面は、三世帯が同居する一家の暮らしへと移りました。 

 石造りの古い納屋を改造した工房でおじいさんは孫娘のために紡ぎ車を作り、父と息子は牧羊犬を巧みに操って、羊の群れを石積みの囲いの中に追い込んでいました。それぞれの一日の仕事を終え、フィドル(バイオリン)やアコーディオンを持ち出し音楽を楽しみます。そして優しい光が差し込む窓際にはおばあさんが座り、何色からにもなるセーターを、目にもとまらぬ手さばきで編み上げていました。荒涼とした島の風景とは対照的なその色鮮やかな柄は、私の目から心へと飛び込んできました 。

 それはフェア島で生まれ、脈々と受け継がれているフェア・アイルセーターでした。年中吹き荒れる北海の冷風から家族を守るために、そして孤島で生きていくための収入源として編まれてきた、独特な柄と美しい色つかいのセーターです。 

 その家族のおじいさんの姿を画面は映しました。十年程前に奥さんに編んでもらったセーターを着て、少しはにかみながらも誇らしそうにポーズをとっています。よく着込んでいるためかそのセーターは編み目が締まり、フェルト状になっていました。家族が編んでくれた一枚のセーターを島の人たちは大切に使いつづけます。同じセーターを二十年以上着ている人もいるそうです。

 私の心になにかストンと落ちるものがありました。風土と人とを、そして家族の一人一人を、十年以上にも渡って一枚のセーターがつないでいました。ほころびを修繕しながら着続けているセーターが、家族の歴史の一部になっています。それは物を創り出すこと、そして物を使っていくことについて、静かだけれども強いメッセージとなって私に届きました。

 あれから十年の歳月。消えるどころか、ゆっくりと大きく膨らんできた思いに私は従うことにしました。フェア島のセーターが語る歴史や自然を肌で感じる旅に、そして、現在の島の人々とセーターとの関わり合いをこの目で確かめる旅に出るのです。