今日は風が音を運んできません。粉々になった雲が地表を漂い、世界を隠しています。私にも、深く濃い霧が覆い被さっています。閉じ込められた光が逃げ場を探して彷徨い、霧を眩しい白にしています。

 自分の存在を、軽く、不確実なものにさせる白い空間。腕を高く上げて手のひらに触れてみました。私はここにある、それを確かめたくて。

 小さなくぼ地で身を寄せ合っている羊の親子が、霧の中から浮かび上がってきました。音を拾おうと常に動く耳以外は、じっと固まっています。私に気づいて、彼らは一斉にこちらを向きました。霧が白色羊になり、ヒースの原野が茶色羊になったのかな、と空想します。

 羊たちはすくっと立ち、霧の中へと再び消えていきます。足元が見えにくいから崖には近づかないでね、と願いました。

 小さな花々は、まとわりつく霧の粒の重さに沈黙しています。しかしそれでもその存在はより際立っています。山吹色・藤色・マゼンダの花は、霧の中でいっそう色を発していくのです。

 

 

 霧に隠されようとも、島の人々の暮らしはいつもと変わりません。暖かい団欒、フィドルの調べにスコティッシュダンス、そして女性たちはフェアアイルセーターを編んでいることでしょう。フェア島で生きる全ての命の原風景は、穏やかな天気ではないのかもしれません。窓の向こうに広がる、白いベールに包まれた見えない世界を眺める時間のほうが多いのですから。

 塊となって流れていく霧に足がとられそうな気分になります。

 空と海があいまいになった風景の中にいると、思ってしまいます。フェア島は、空に浮かんでしまっているのではないかと。

 

(フェア島編は今回で最終回です。次回からはフェア島以外のシェトランド諸島についての旅日記です)