英国最北端のアンスト島へやってきました。本島からフェリーを二度乗り継いでたどり着いたこの島には、フェア島とも本島とも違う自然があります。なだらかな丘には大小の岩の露頭がどこにもあり、夕暮れ時にはそれぞれの岩が、少し残酷な感じのする長い影を大地に落とします。裾野はいたるところでじくじくと水が染み出し、湿地になっています。 

 

 島の一角にある「キーン・オブ・ハマー国立自然保護区」では、英国で最も古く、かつ痩せた大地を体験できます。ここは、氷河期が終わった直後の約一万年前の光景のままだと言われていて、その荒涼とした様子は月面にもたとえられています。角の鋭い石を敷き詰めた土地です。氷河によって運ばれる粒の細かい土砂に覆われなかったのでここはやたらと水はけがよく、決して水が不足していないシェトランドでの砂漠になっています。  

 このような環境が影響しているのか,アンスト島のシェトランドシープは、他のシェトランド諸島の羊よりも細くてソフトな羊毛を身にまとっています。そしてその羊毛を使ったレース編みでこの島は有名です。

 

 英国で一番北にある郵便ポストの近くに、小さくて簡素な郷土資料館があります。ここの展示で特に目を引くのが、手で紡がれた、髪の毛のように細い毛糸です。何しろ,農作業などで指先が荒れると紡ぐことができなくなるほどのものです。このように繊細な毛糸で編んだレースは、二メートル四方の大きさのものでも、女性のマリッジリングの中をスーっと通り抜けてしまいます。

 しかし、髪の毛なみに紡げるおばあさんは、もう亡くなってしまいました。

 

<生きること=編むこと>だったシェトランドレディーたちは、様々な活動を展開して伝統技術の継承に努めています。盛んにワークショップを開いたり、博物館を運営したり、いろんな国に行ってシェトランドニットを紹介したりしています。しかし、彼女たちが生活を賭けて得た技術を、現代の島民に伝えることは難しいようです。一人のおばあさんは言いました。

「私たちはこうするしかなかったけれど、今の若い人はいろいろ選べるからねえ」。それでも彼女たちは編みつづけます。

 

 夕食後、郷土資料館に戻りました。アンストの女性たちによる編物の実演があるのです。やはりおばあさんばかりです。

「あら、あなたのお国は?まあ、遠くから来たのだからやって行きなさいな。簡単よ」一人の女性が、棒を突き刺したジャガイモと、すでに毛並みを整えてある羊毛の塊を私に渡しました。戸惑っていると、彼女は「こうやるのよ」と、縒り出した毛を棒の端の切れ込みに引っ掛け、ジャガイモを下にたらして回転を加えました。すると指で引き伸ばした毛糸に縒りがかかり、毛糸になっていきます。ジャガイモは紡錘なのです。

「これでも上手くいくでしょう。家にあるものは何だって利用すればいいの。羊毛を梳くときのトリートメントはサラダ油だし、羊毛は原野にいくらでも落ちている。おっと、これはうちの猫の毛だねえ~」彼女は百歳まで行きそうな勢いで笑いながら、その猫の毛も混ぜてしまいました。

「どうだい、お金をほとんど使わないし単純だけど、楽しいじゃない」

 

 椅子にかけてある私のセーターを別のおばあさんが手に取りました。

「あなたが編んだの?」。イエスと答えるとおばあさんはまず驚き、そして同士を見るようなやさしい目になりました。

「ラブリーだわ!ここで使われているのと同じ柄ね。手編みかい?それにしてもなんてソフトな糸でしょう。日本製?」

 他のおばあさんたちも集まって来ました。「この娘が編んだのよ……」一人一人、毛糸の質や編み方を熱心に確かめています。

「どのように編んだの?」

 シェトランドの方法とは違うのですが、という私の言葉に、おばあさんたちはこう応えました。

 「いいえ、どんなやりかたでもいいのよ。自分に一番合う方法で編むことが、くれぐれも大切なの」

 

 

~フェアアイル紀行1997・終~