北海の孤島フェア島の姿は、剥き出しの自然そのものです。島の大きさは南北六㎞、東西3㎞。その周辺の海域は船の墓場として恐れられてきました。

「一時間のうちに四季がある」と言われるほど変化の激しい気象と、複雑にぶつかり合う潮流、そびえ立つ断崖絶壁の海岸線が、何十隻もの船を沈めてきたのです。

 また、冬の暴風と巻き上がる潮は木の成長を許しません。心が疲れているときには、フェア島を取り巻く全てが人間を拒んでいるように見えます。

 この島に関する興味深い数字があります。それは、十年前から現在(1997年当時)までの人口の移り変わりです。資料によると、十年前の島の人口は六十九人でした。そして、私が訪れたときの人口は七十二人です。ほんの少しですけれど、十年の歳月の中で減るどころか増えています。いつ無人島になってもおかしくない環境なのに。

 島には数人の若い職人がいました。彼らは一度島から離れ、イギリス本土や海外で技術を習得して島に戻ってきました。そして家庭を築き、若い命を島にもたらしています。バイオリン職人のユーエンもその一人です。

 ユーエンの紹介で、船大工のイアンを訪ねました。この海域での伝統的な木造小船「ヨール」の建造技術を学ぶためにノルウェーに渡り、約三十年ぶりにフェア島でのヨール造りを復活させた男です。金色の髭を指先でつまみながら彼は言いました。

「農業と船造りという今の生活は気に入っているよ。気持ちのいいときは外で働いて、嵐が来たら風をしのげる工房で船を造ればいいんだからね。でも最近はヨールの注文が増えて、そうもいかないんだ」。そして彼は少し困った顔をしました。船を造ることと同じくらい、またはそれ以上に、島の大地の上で体を動かすことが好きなのです。

 精密なミニチュアのヨールを作っている青年にも会いました。仕事の関係で、このとき彼はシェトランド本島で生活していました。

「ヨールの模型の仕事が軌道に乗ったんだ。これでようやくフェア島で暮らしていけるよ」

 どの若者も故郷に職を求めるのではなく、自らが生み出した仕事と共に帰ってきます。それも、呼吸のように無意識で自然なこととして。

 ユーエンの家のダイニングの窓からは、なだらかに下っていく牧草地と海が見渡せます。その窓のそばの花瓶に小さな花が生けてありました。窓の外にはそれと同じ花が群生していて、いつでも眺められるのに、家の中にも島の風景を取り込んでいます。

 海から突き出た、高さ十数メートルの岩の塊を彼は指差しました。

「冬の嵐が来たら、あの岩が波に飲み込まれるんだ。まったく、エキサイティングだよ」

 彼の目は、あきらかにそれを待ち望んでいました。